1890年代、ペルシアが大飢饉に襲われ、飢餓により多くの人々が命を落とす悲劇のさなか、多くの人が安住の地を求め,祖国を後にする道を選択した。
やがて、ヒマラヤの西に延びるヒンドゥクーシュ(Hindukush)山脈を越えた人々は、「ただ生き延びること」を目的に、はるばるヒンドスターン(Hindostan)、現在のインドに辿り着いた。
そうした人々の中に、現在のイランはイェズド(Yezd)県からボンベイ(現ムンバイ)にやってきた、ハージ・モハンマド・イェズディ(Mohammed Showghi Yezdi)という若者がいた。
仕事も金も家族もなく、ハージと同様ボンベイにやってきた同郷人を頼り、現在はインド門やタージ・マハル・ホテルなど観光名所の集中するアポロ・バンダール(Apollo Bunder)と呼ばれる港湾地区で、イラン風のチャーイ(お茶)を、労働者や通行人に売りながら生計を立てていた。
「これこそが我が一族のルーツ、本物のチャーイワラー(お茶売り)さ」と、現在もムンバイに住む孫のマンスール・ショウギー・イェズディ(Mansoor Showghi Yezdi)さん。
マンスールさんは、祖父の生涯を題材にしたドキュメンタリー映画「Cafe Irani Chai(カフェ・イラニー・チャーイ)」の製作に携わった。
この映画では、かつてムンバイや西インド地区一帯で急速に成長し、また近年は失われつつある「イラン風カフェ(俗にイラニー・カフェ)」のルーツを紹介する。
初期のイラニー・カフェでは、濃く煮出したイラン風の紅茶を、インド人が好むようミルクを加えたものに、バターを塗ったテーブル・パン(マスカ・パオ;インドで庶民が食べている一般的なパンは、イーストを加えない平たいチャパティが一般的だが、パオはイーストを加えてふっくらと膨らませたパン)を添えて提供している。
時が過ぎ、イラニー・カフェは高い天井にヨーロッパ風の内装、そしてイランから取り寄せた調度品など、イラン出身者が祖国を感じられるような場所、それ以外の人には異国情緒たっぷりの空間を特徴とするようになる。
イラン風のラム肉を使ったサモサや、ベリーを散らしたピラフ、バターたっぷりの「シュルースバリー・ビスケット(Shrewsbury Biscuit」などが、ボンベイという様々な人種がひしめき合う大都市において、老若男女、民族を超えて愛されるようになり、そしてインド社会に溶け込んでいった。
ペルシア人によるインドへの移民は、少なくとも1300年ほど前の、アラブの侵略者から逃れてきたゾロアスター教徒らに始まり、ムガル帝国時代は現イラン付近のシーア派イスラム教徒らの移住が目立つようになった。
ハージのように飢饉を逃れ、およそ150年前から移住してきたイラン人たちは、祖国を想って夜ごと、同郷人同士で集まり、1杯のチャーイで身体を温めながら、思い出話や近況報告に花を咲かせていたという。
現在のイラニー・カフェは、そうした1杯に対し、集まる人たちが少額ずつ、心付けを支払うようになっていったことから発展していったものと考えられている。
その後イラニー・カフェは、ボンベイ、その東のプネ、そして南の大都市ハイダラバードへと次々に広がっていった。
こうしたイラニー・カフェの店内には通常、大きな鏡が設置してあり、「店内で髪を梳かない。注文しない者は席に着かない」といったルールや、女性や家族専用エリアを設けている。
それまで、他のヒンドゥ教徒をはじめとする土着インド人が経営していた食堂と異なり、文筆家が長時間居座って、執筆に専念していることもあれば、土木作業員や娼婦が、1杯の甘いチャーイを求めて立ち寄ったり、大英帝国の軍人がキーマ・パオ(炒めた挽き肉をパンに挟んで食べる料理)に舌鼓を打ったりと、カーストも宗教も、階級も全く問われない、ありとあらゆる人々が集うことを許される、自由で開放的な雰囲気、まさに「元祖ボンベイ」のコスモポリタンな雰囲気が生まれた場所とも言える。
利益を度外視した安価なメニューも多くの人の心を掴み、一時は3都市に1000店以上のイラニー・カフェが存在したが、現在ではその数はめっきり減り、150店舗ほどしか営業していない。
「20世紀後半ごろから、ボンベイの人々にとって等しくエキゾチックなドーサやイドリー、香り高いフィルター・コーヒーなどの南インド料理を手軽な価格で提供する『シェッティ・レストラン』に、イラニー・カフェは太刀打ちできず、次々と姿を消している。また世襲によって2代目、3代目と受け継がれてきた店も、若い世代がより給与のいい職種を選ぶようになってきたことから成り立たなくなっている。近年は特に、マクドナルドなどの外資系ファストフードの進出が決定的な打撃となっていることは否めない」
イラン系住民の人口も減少している。
マンスール氏によれば、近年は企業家精神のあふれるイラン系住民が、イラニー・カフェの再起復活にかけて動き出し、地元住民の好むメニューを取り入れたり、8~12個の卵を使った巨大オムレツなどの変わり種メニューを投入したりと、工夫している。
「Cafe Irani Chai(カフェ・イラニー・チャーイ)」は10月12日、イラニー・カフェ振興のための非営利組織「イラニー・チャーイ基金(Irani Chai Foundation)」発足を記念して上映された。