インドを取り巻くあらゆる状況を勘案して今後10数年を展望すれば、「万人向けの金融サービス(financial inclusion)」の大開花時代を迎えることは間違いなさそうだ。
収入レベルは急速に上昇しており、2020年までには、いわゆる「次の10億人」と言われている「中流階級」以下の収入世帯も銀行サービスを必要とするようになり、また利用を求めるようになるだろう。
多くの金融機関は、銀行サービスを従来利用のなかった人々に対し提供することは、的確なビジネスモデルを築くことさえできれば大幅な商機をもたらすということを認識し始めている。
今や「そのビジネスモデル」を見つけるための熾烈な競争が水面下で始まろうとしている。
これまで、インドのような国土の広い国において、農村部における「万人向けの金融サービス」を実現するには大きな壁があった。
まず道路を含むインフラ開発の遅れは、一般の企業が農村部で操業する場合と同様、銀行にとっても向かい風となっており、また支店へ出掛ようという顧客の足も鈍くする。
農村部の顧客にとっては、賃金を稼げたかもしれない時間を犠牲にして未整備の悪路を延々と歩き、銀行を訪れるような人は少なく、銀行口座の開設は敷居の高いものであった。
非識字率の高さと多種の言語が混在している事実も、銀行をして地域に応じた多様な商品の提供を難しくしている。
だが銀行が農村部への進出に二の足を踏む理由の最たる部分は、取引規模が小さい割に、信用リスクが大きな点にある。
こうした障害があるにも関わらず、インド農村部における銀行業務は、10年前と比較すると飛躍的に伸びている。
インドにおける銀行業の規制当局は、都市部における支店開設免許の数を、農村部に開設した支店の件数に応じて付与するという条件をつけることにより、銀行の農村部への進出を奨励している。
今や、インド資本の銀行の支店のうち40%は農村部にあり(およそ3万2000件)、農村部における1支店当たりの人口網羅率も、1969年の1支店当たり8万2000人から、2007年には1支店当たり1万7000人まで大幅に向上している。
規制当局はまた、従来型とは異なる顧客サービスの構築に一層の理解を示している。
従来型銀行支店の半径30キロ以内に、銀行業務を代行してサービスを提供できる「業務代行者」を雇用することも認め、小売商人や、退職した元公務員や銀行員といった人々が預金の受け取りや払い戻しといった業務を代行、より現実的に銀行を必要とする世帯およそ3000万口座が新たに開設されている。
銀行業が次のステージに進むには、規制の一層の自由化と民間セクターからの高い企業家的アプローチが必要になるだろう。
最も有望な直接的銀行取引経路は断トツで携帯電話だが、銀行取引が活用できる通信インフラを拡充することで、インフラにまつわる物理的な障壁を大幅に下げられる。
モバイルバンキングに関しては、ケニアやフィリピンといった市場では始まっているが、インドでは依然、実現可能なモデルを模索している段階だ。
新しいテクノロジーの導入は、モバイルバンキングその他の可能性の扉を開くのに役立っている。
例えば生体認証ATMは、指紋により顧客を識別することから、銀行業務のネットワークが拡大するにつれ増幅する不正取引の不安を緩和するため、一部の銀行は生体認証が設置されたATMの試験運用を始めた。
厳しい気候条件や貧弱なインフラを含めたインドの環境にも適応可能な機械を導入することができれば、大変革が起こるかもしれない。
もっとも注目すべき点として、インド政府が全インド人を対象に登録を予定している個別識別番号の発行がある。
この取り組みにより、銀行業界にとっても大きな恩恵をもたらす可能性がある。
すなわち全ての国民に対し、指紋や虹彩スキャン情報を含む、本人の生体認証情報を登録してもらい、それと連携した固有番号のついたIDカードが発行されることにより、銀行は国の規制が定める顧客情報を揃えることが格段に容易になると同時に、信用情報の照会を行い易くなることで、借り手となりそうな顧客を洗い出すことができるようになる。
貧困層向けのより高度な銀行サービスの提供にも門戸を開くことだろう。
パキスタンでの事例はその可能性を実際に示している。
政府はこれまで、1億人の国民に新たな固有IDを登録し、7300万枚以上のIDカードを発行した。
このプラットフォームを利用し米ユナイテッド・バンク(United Bank)は早速、小売店と提携した送金サービスの提供を開始している。
登録した顧客は、同行と提携する小売店窓口を訪れ、現金の受取人のIDカード情報と携帯電話番号を入力する。
小売店は現金と手数料を顧客から受け取ると、取引内容を携帯電話のテキストメッセージで銀行に送信、受領書を発行する。
取引が処理されると受取人はコード番号とテキストメッセージを受信し、そのコード番号を最寄りの提携小売店の窓口に提示して現金を受け取る、という仕組みによって送金が完了する。
固有IDによって不正取引が減ることが期待されると同時に、取引額に制限を設けることでマネーロンダリング対策にも準拠している。
顧客も銀行の支店に赴かずとも、提携の小売店で銀行口座を開設することができる。
こうした大変革は、インドの農村部に住む消費者に大きな恩恵をもたらすだろう。
また新しい需要の発生により、銀行側にもこれまでとは異なる層の顧客に対し、新たな商品やサービスを開発する必要性が発生するに違いない。
手をこまねいて見ているだけはもったいない。
Source: Banking on Indian Growth (Wall Street Journal)